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『 千人つか ~母の戦時中のこと ( 2 ) ~ 』

 10, 2018 13:22
千人つか


小雨のなか、梅が咲き始めた城北公園を抜けて行くと

淀川の堤防に 「 千人つか 」 が建てられている。

碑文によると、

「 昭和20年6月7日、大阪大空襲による死者数万人中身元不明者千数百の遺体を

此処に集め家屋の廃材を以って荼毘に付す ( 一部抜粋 ) 」 とある。



昨年12月初め、母が突然、

堰を切った様に話し出した大空襲大惨事のことだ。



この日、学徒勤労動員された母たち女学生50人は

大阪陸軍造兵廠 ( おおさかりくぐんぞうへいしょう ) に行っていたらしい。

空襲が始まり、大半が防空壕に逃げる。

逃げ遅れた母たちは近くの建物に駆け込んだ。


地獄さながらだった。

みんなで頭を抱えて泣きわめき、空襲が終わって外に出ると

あたりは焼け野原。

防空壕に入った人たちも被災するなか

不思議なことに、母たちが逃げ込んだ建物は無傷だった。



記憶は曖昧なところが多いが、そんな話だった。



一昨日、挨拶回りも終わり、帰りの予約便まで少し時間があったので

大阪駅から市営バスに揺られてコトコト。

母の口から出た地名のバス停も通り過ぎた。


城北公園前で降りて

傘を差しながら、

公園内の大きな池畔を時計回りに歩いて反対側の土手を登ると

千人つかは直ぐに分かる。



手を合わせながら

母が空襲で命を落としていたなら、私は今こうして此処に立っていない。

なんとなく、そんな思いがよぎった。



淀川1

淀川2

淀川は大きな橋以外はこんな感じだったという。
川の両側にぽつりぽつりと家があって、
寮もここら辺りかなと、懐かしそうに話していた。

城北公園1

城北公園2

城北公園3

城北公園4

「 城北公園も街並みも変わったなあ 」 と母が写真を見ていた。

大阪バス路線

バスの路線図。
母の口からでた赤川、都島本通などの地名もある。




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