『 母の戦時中のこと 』

 01, 2017 23:01
夕食後、

母が突然、女学生だった戦時中のこと、

学徒勤労動員された大阪での空襲の模様を堰を切ったように話し始めた。


愛媛の片田舎、先輩たちは、地元にある大手繊維工場に動員されたが

母の学年五十数名は、大阪の造兵所に招集された。


「 大きな川が近くに流れている赤川5丁目の宿舎から

造兵所のバスに乗って都本通りを通って、工場に通った 」 らしい。


ネットで調べてみると、

淀川に隣接する地名に赤川があり、

そこから “ 都本通 ” ではなく、たぶん “ 都島本通 ” を経由して、

大阪城近くの陸軍造兵所に通っていたのではないかと思う。


空襲では、

隣の宿舎で焼夷弾が直撃、よそから来ていた女学生が、たくさん亡くなった。

道端には、倒れている人も多く、本当に怖い思いをした。

程なく、母たちは着の身着のまま、

造兵所の車に乗り

天保山から四国まで、船で運んでもらったという。


郷里の港には連絡を受けた今は亡き祖母が迎えに来ていた。

嬉しくて嬉しくて

「 お母さーん 」 と、叫びながら胸に飛び込んだ。


母が十五歳の時のことだ。



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COMMENT 2

Sat
2017.12.02
16:46

つばきだろ #dEc.uiHI

URL

平和

怖い思いをしたのですね、平和ボケしないように気をつけなくては。

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Sun
2017.12.03
08:19

nori #iAqHXQpI

URL

つばきだろさん

お早うございます。
工場に行っても、作る材料がなくて友達と話してばかりだったとのこと。
最近、きな臭い話ばかりですが、外交がうまくいくことを願います。

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