『 水攻め ( 備中高松城 ) 』 ~ 新お城巡り (17) ~

 21, 2014 18:56
備中高松城1


清水宗治の潔い切腹は以後、

武士の切腹作法として定着したと言われている。


1582 ( 天正10 ) 年、軍師・黒田官兵衛が進言、秀吉軍が水攻めした 備中高松城

今は本丸、二の丸、三の丸の一部が名残を留めているだけ・・・。


紅葉シーズンのためか、適当なホテルが取れず日帰りの強行行程。

早めに松山を出発、10時過ぎに到着。

以前から大河ドラマ等でよく出てくるこの城跡を訪れたいと思っていました。


本丸跡には宗治の首塚、三の丸跡には自刃の地やごうやぶがある。

二の丸あった辺りには資料館、

中に入ると、水攻めの古図や備中七城の資料等が展示されていてとても興味深い。


冒頭の写真は

鬼ノ城から写した備中平野。

右奥辺りに高松城跡があるはずなのですが、拡大してもよく分かりませんでした。



備中高松城本丸跡

備中高松城・本丸首塚

水攻めで浸かったのであろうと思われるほど、平地にある 本丸跡首塚

ごうやぶ

ごうやぶ : 清水宗治の切腹を前に、家臣の二人が 「 お供します 」 と刺し違えた場所と伝わっている。

備中高松城・自刃の地

高松城東にあるお寺の一番奥にある 自刃の地
秀吉の用意した小舟に乗り込み舞を舞った後、辞世の句を残し切腹した。
浮世をば 今こそ渡れ武士 ( もののふ ) の名を高松の苔に残して

備中高松城・資料館

資料館。 貴重な資料が展示してある。

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