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『 尼子十勇士 』 ~ お城巡り (45) ~

 17, 2014 19:37

「 願わくは、我に七難八苦を与えたまえ 」


尼子氏が衰亡していく中、

御家再興のために三日月に祈った逸話は、講談等であまりにも有名。


尼子十勇士 ( あまごじゅうゆうし ) の一人

山陰の風雲児、山中鹿介 ( しかのすけ )、実名 ・ 幸盛 ( ゆきもり ) は

戦国時代で三指に入る、とても美男子だったのだそうだ。


敗れても、敗れても御家再興のため毛利氏と戦った勇猛果敢な鹿介、

私の好きな武将の一人です。


月山冨田城 ・ 千畳平に続く南側の太鼓壇に山中鹿介幸盛の銅像が建っています。

両手を合わし、祈っている姿です。

月山の頂上 ・ 本丸にも、鹿介の記念碑が建っています。


鹿介の首塚が、

遠く離れた福山市鞆の浦、静観寺の前にあります。

以前、ここを訪れた時

山陰から離れたこんな所に・・・。

どうして???、

と不思議に思ったものです。


毛利軍に囚われの身になった鹿介は護送中に殺害され、

備中松山城、鞆城で首実検された後、この首塚の近くに埋葬されたといいます。


尼子十勇士1

尼子十勇士2 尼子十勇士3

尼子十勇士4

飯梨川河原の公園内にある尼子経久の騎馬像。 後ろの山は月山。

尼子十勇士5

福山市鞆の浦、静観寺の前にある鹿介の首塚。 慰霊碑。

尼子十勇士 ( あまごじゅうゆうし ) : 戦国大名尼子氏の家臣のうち尼子勝久を擁立し
再興につとめたとされる、10人の優れた武士。
山中鹿介などが含まれ、講談や立川文庫などにより有名になった。
数々の軍記物に登場するようになったが、十人の氏名には各書ばらつきがある。
                                    ( ウィキペディアより抜粋 )

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お城巡り(45) |   2011年06月25日 いい色掲載


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