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ゆりレール



今年も残り数時間、紅白を聴きながら、書いています。

来る年も皆様にとって、良い年になりますように。


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中城グスクを後にして、那覇に着いたのは、もう3時過ぎ。

ホテルにチェックインして、ゆりレールで首里城へ。


辺りは薄暗くなりかけていましたが

欲張って玉陵 ( たまうどぅん ) まで歩いてみました。

帰りはもう、門が閉まりかけていましたので、駆け足で外へ。



首里城

首里城1

首里城2

首里城3

玉 陵

玉陵1

玉陵2

玉陵3

何も経験していない、何も知らない私が言うのも烏滸がましいが
中城城跡のボランティアガイドさんから聞かされた沖縄戦の話や
当時の玉陵の写真、戦前のものがほとんど残っていない首里城の石垣等を見ると
どれだけ砲弾を浴びせられたのか、どれだけの方がどのように亡くなったのか
その悲惨さは想像も出来ない。

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翌日、那覇空港は午後の便で松山でしたから

午前中は国際通りをぶらぶら。

家内に天然石のブレスレットを買いました。

安いものなのにとても喜んでくれて、此方が恐縮しました(笑)。


小さな友達、二歳になる女の子には、

「 食べるかな 」 と、思いながら

ドラゴンフルーツ入りのアンダーギーとバナナチップス、それにちんすこうです。



國際通り1

國際通り2-1國際通り2-2

國際通り3

國際通り4

國際通り5

國際通り6



年末に掛けて、バタバタとお城巡りを更新しましたが、二城はアップ出来ずに年越しです。


来年早々、還暦を迎えます。

50歳になった記念にリログで書き始めたブログもちょうど10年ですね。

来年も宜しくお願い致します。



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防空壕1



中城城正門前脇石垣に旧日本軍が掘り掛けた防空壕の跡がある。

石垣の中の岩盤が固く、

途中で掘るのを諦めたのだという。



終戦当時、小学5年生だったというボランティアガイドさん。

「 日本の兵隊さんが、一番恐ろしかった 」 と、防空壕跡の前で話されていました。

80歳を超えられていますが、

私より遥かにしっかりした足取りで城跡の説明に交えて

琉球の歴史、琉球処分、当事者でないと絶対にわからない沖縄戦等

色々な話を聞かせて頂きました。

ありがとうございます。


中城城は、2000年12月2日に琉球王国のグスク及び関連遺産群の一つとして

世界遺産に登録されている。



防空壕2

防空壕3

西の方角に向けて建てられた正門。門の手前に防空壕が掘られた跡がある。

防空壕4

防空壕5

沖縄では 「 チーパッパ 」 と呼ばれるツワブキが黄色いを咲かせ見頃だ。

防空壕6

防空壕7

中城城跡で最も広く、最も標高が高い場所にある一の郭。
琉球王朝時代には正殿があり、歴代の先中城按司や中城按司 「 護佐丸 」 が居城していたという。
間切番所 ( まぎりばんしょ ) や中城村役場として使用された郭だ。

南の郭石段1

南の郭石段2


西の郭より正門に登る階段に来ると

「 この石段どうして左右段違いになっているか分かりますか? 」

突然、ガイドさんが私たちに質問。

色んな答えを考えても、どれも不正解。

「 横に並んでみて下さい。重い石を天秤で二人が肩に掛けて運ぶ際、

背の低い人が高い段、背の高い人が低い段を通るとどうですか。 」

全員で、なるほど、納得です。

「 そう考えられています 」 とガイドさん。


1853年、ペリー提督一行 ( 奥地探検隊 ) が中城城跡の調査測量等を行った。

ハイネが4枚のスケッチを残している。

その一枚にも登場する石段だ。



南の郭1

南の郭2

霊域 ・ 南の郭にある聖地久高島への遥拝所。 場内には八カ所の拝所がある。

鍛冶や跡

南の郭外壁下にあるカンジャーガマ ( 鍛冶屋跡 )。
一説によると、護佐丸が阿麻和利に備えるため、武器を造っていたという。

防空壕跡1

防空壕跡2

記念運動場に設置されているグスク模型とパンフレット掲載の航空写真。

中城1



三日目で運転にも慣れたレンタカーを駐車場に止め、

管理事務所で観覧料を払った後、道順に沿って登って行くと、広々とした記念運動場へ。

石積み技法の最も進んだあいかた積み ( 亀甲乱れ積み ) で

築かれた新城 ( ミーグスク ) とも呼ばれる三の郭 ( 上の写真 ) が、とても素晴らしい。



三の郭をバックに二人で写真を撮っていると

私たちより少し遅れて登ってきたご夫婦とボランティアガイドさん。


お願いすると、

快くご一緒させてもらえることに。



お城好きなご主人と100名城を廻られているという奈良から来られたご夫婦。

「 うちは主人がお供なのですよ 」 と、家内が言うと

お二人とも笑ってました。



中城2

中城3

東に向かって建てられた裏門。
ここから北の郭、三の郭、二の郭と案内して頂きました。

中城4

中城5

中城6

三の郭から見上げる二の郭。

中城7

北の郭にある大井戸 ( ウフガー )。
パンフレットによると、西の郭には夫婦井戸 ( ミートゥガー ) と呼ばれる二つの井戸がある。
城郭内に水を確保していることが、この城の特徴であるとのこと。

中城8

中城9

中城10

中城11

中城城跡はかつて、
貿易が行われていた屋宜 ( やぎ ) の港から2km程離れた標高役160mの丘陵上にある。
城は連郭式の山城で六つの郭で構成されている。
城壁は主に琉球石灰岩の切石で積まれている。
14世紀後半頃まで、先中城按司 ( さちなかぐすくあじ ) が数世代にわたり西の郭、南の郭、
一の郭、二の郭の主な部分を築き上げた。
1440年に読谷の座喜味グスクから、移ってきた護佐丸によって、北の郭、三の郭が
増築された。      ( パンフレットから抜粋 )

餅つき1



今朝、出掛け、

台所からゴトゴト、ゴトンゴトン。

覗いてみると、家内がお餅をついていました。



と言っても、パン焼き器で、です。



今日は仕事納め。


午前中、

松山で所用を熟しておりましたので、赴任先に到着したのは、午後1時過ぎ。

既に大掃除も終わり、

残って、待ってくれていたのは事務方だけ ( 笑 )。



でも、一年経つのは早いですね。

単身赴任を始めて、もう30年です。

本当に早い。



帰宅すると、 家内が笑いながら

「 おとうさんの好きな餡餅も作っておいたわよ! 」



餅つき2

美味しそう。 早速、 明日の朝 頂きます。

残波岬1



読谷村にある東シナ海に面した残波岬は、高さ30mの断崖が2km程続いているのだそうだ。



「 そうだ 」 と、書いたのは

座喜味城跡からホテルに移動する前、残波岬という道路案内を見つけた。

以前、この岬と同じ名前の泡盛をお土産に買って帰ったので、

ちょっと気になって、寄ってみた。



時間も夕方で余りなく、灯台のこちら側を遊歩道に沿って少し歩いただけ。


波が凄いな。

と思いはしたが、向こう側にそんな断崖があるなんて・・・。


観ておけば良かった。


後悔しきり。



残波岬2

残波岬3



二泊目、基地近く北谷町の海沿いのホテル。

アメリカのドラマの出てくるような住宅が並んでいます。

海ではサーフィンを楽しんでいました。



ホテルから1

ホテルから2

翌日は天気も回復。 紺碧の海が広がっています。

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