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朝7時過ぎ、家内から電話。

「 羽田に着いたよ! 」

11時過ぎには松山空港に到着。


車の中で、疲れたと言っていましたが、

遺跡やオイルマッサージの話を楽しそうに話していましたから、なんとなく一安心。


インドネシア・スラバヤ発シンガポール行きのエアアジア機が

行方不明になっていることは知らなかったようで、驚いていました。



バリ猫

エッ、何個買ってるの。

数えると大小あわせて17個。

可愛かったからと、友達へのお土産に バリ猫 をたくさん買ってました。

ボロブドゥール

雨期でずっと、雨。

「 この次はお父さんも連れていってあげるからね 」 ですって ( 笑 )。

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鬼ノ城トップ


鬼ノ城 には、到る処に大きな岩がある。


古代の人々がどうやって運び積み上げたのだろう。

人間業とは思えない。

やっぱり鬼の仕業か。


そんなことを考えながら

すり鉢を伏せたような鬼城山 ( 標高約400m ) の八合目から九合目にかけて、

鉢巻状に築かれた城壁約2.8kmを家内と一周してみました。



鬼ノ城1

備中高松城址を後にして、国道180号線から総社・一宮バイパスへ。

突き当たりを右に曲がり、砂川公園を過ぎると山へ登る道が二股に分かれる。

そこから、右側の狭い道路を2㎞程走ると

やっと、鬼ノ城ビジターセンターの駐車場に着く。


鬼ノ城といえば、桃太郎の鬼退治を思い浮かべるが、温羅伝承と呼ばれる説話がある。


総社市観光ガイドによると
鬼ノ城縁起に百済の王子で名を 温羅 ( うら ) という百済の王子が備中国の新山 ( にいやま ) に居城を
構え、西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪した。
人々は恐れおののいて 「 鬼ノ城 」 と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた・・・という記述がある。
これが、一般に温羅伝承と呼ばれる説話で、地名もこれに由来しているそうだ。

鬼ノ城2

鬼ノ城3

鬼ノ城4

鬼ノ城5

鬼ノ城6

鬼ノ城7

鬼ノ城8

鬼ノ城9

鬼ノ城10

板状の石を敷き詰めて通路状とした敷石や水路、要所には堅固な高い石垣を築いている。

鬼ノ城11

鬼ノ城12

663年の白村江 ( はくすきのえ ) の戦いで唐 ・ 新羅の連合軍に大敗した朝廷は唐・新羅の日本侵攻を
恐れ、北九州から瀬戸内沿岸、畿内にいたる国土防衛の施設を築いた。
鬼ノ城もそれらの一つとする考えが有力だという。

昨夜遅く、赴任先から帰ってきましたので

今日は遅めの朝食。

といっても私一人ですから、帰宅途中で買ったパンと珈琲それにミカンです。

何気なく庭の山茶花を見ていると・・・。


メジロですね。


ちょんちょんと、飛びまわる姿がなんとなく可笑しくて、暫く眺めていました。

以前は、一組の番だけだったような気がしますが

今は何組も順番に来ているようです。


さて、今日は次男が帰省してくる夕方までは、一人ですから

家内から仕方を教わった洗濯 ( 洗濯機が新しくなって触るのは初めて ) をして

後は何をしましょうか ( 笑 )。


めじろ2014

めじろ2014

カーテンの隙間から一枚。 なかなか撮るのは難しいですな。


先程、バリ島にいる家内から、 ( 長男の携帯を借りて ) 電話。

一昨日夕、到着したインドネシアの空港で2時間近く

長男と会えなかったらしい。


家内は空港にある待ち合わせのお店へ、

長男は長男で気を利かせて

家内が出てくる出口に迎えに行ったとのこと。

でも、家内は別の出口から・・・。


“ 迷子 ” になって途方に暮れた家内は

日本人のキャビンアテンダントさんを見つけ、長男を捜してもらったとのこと。


心細かったのでしょう。

「 もう一人では、行くものじゃないわ! 」

電話の向こうで話していましたが、

現地で骨を折っていただいたANAのキャビンアテンダントさんや

電話を掛けていただいた事務方の皆さん、本当にありがとうございます。

お世話になりました。




今日は仕事納め。

みんなが大掃除をしている間に私は、客先へあいさつ回り。

一年経つのが早いですね。


午後は赴任先の宿舎の掃除をして松山に帰ります。

明日は次男が帰省してきますので、

家内が帰ってくる間、次男と留守番です ( 笑 )。




備中高松城1


清水宗治の潔い切腹は以後、

武士の切腹作法として定着したと言われている。


1582 ( 天正10 ) 年、軍師・黒田官兵衛が進言、秀吉軍が水攻めした 備中高松城

今は本丸、二の丸、三の丸の一部が名残を留めているだけ・・・。


紅葉シーズンのためか、適当なホテルが取れず日帰りの強行行程。

早めに松山を出発、10時過ぎに到着。

以前から大河ドラマ等でよく出てくるこの城跡を訪れたいと思っていました。


本丸跡には宗治の首塚、三の丸跡には自刃の地やごうやぶがある。

二の丸あった辺りには資料館、

中に入ると、水攻めの古図や備中七城の資料等が展示されていてとても興味深い。


冒頭の写真は

鬼ノ城から写した備中平野。

右奥辺りに高松城跡があるはずなのですが、拡大してもよく分かりませんでした。



備中高松城本丸跡

備中高松城・本丸首塚

水攻めで浸かったのであろうと思われるほど、平地にある 本丸跡首塚

ごうやぶ

ごうやぶ : 清水宗治の切腹を前に、家臣の二人が 「 お供します 」 と刺し違えた場所と伝わっている。

備中高松城・自刃の地

高松城東にあるお寺の一番奥にある 自刃の地
秀吉の用意した小舟に乗り込み舞を舞った後、辞世の句を残し切腹した。
浮世をば 今こそ渡れ武士 ( もののふ ) の名を高松の苔に残して

備中高松城・資料館

資料館。 貴重な資料が展示してある。

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