Photo Gallery

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総構え1


「 横矢が掛かっていますね 」

「 そうです。 そうです 」

先を行くガイドさんと家内が、楽しそうに話をしている。

( 後を追いかけながら、写真を撮る私にはただの丘のように見えるのだけれども・・・ )


お昼前、ガイドさんと小田原駅の改札口で待ち合わせ。

お会いするなり、

家内と私の足下を見て、笑いながら

「 大丈夫ですか。 今日はたくさん歩きますよ 」


挨拶もほどほどに、

早速、

2里半 ( 約9km ) に及ぶ空堀と土塁で小田原の城下町を囲んだ総構えを案内して頂いた。


以下は、家内がレポートを書いていましたので、 写真説明以外は、ちょっと拝借。


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 6月20日から3日間の行程で北条氏に縁の深い城を訪ねた。

 天正18年(1590年)豊臣秀吉の北条攻めで知られる山中、八王子、小田原の三城に決める。

 梅雨時にもかかわらず、天候に恵まれた初日の小田原は絶好の城歩き日和。
 
 前もってお願いしていたガイドさんに、秀吉軍の来襲に備えて築かれた全長9kmに及ぶ総構を案内して頂く。


 関東ローム層の大地に城は築かれている。

 ロームとは180万年前から現在に至るまでに堆積した火山灰層で10mに達するという。

 赤褐色の粘土化した大地で非常に固いが、雨などの水分を含むと滑りやすい。

 総構で築かれた土塁は高い所で14mに達し、その勾配は50~70度と驚異的である。

 見上げると巨大な壁の如く息を呑む迫力だ。

 土塁の外側に幅の広い堀切。更に外側に 『 かき揚げ土塁 』 を築く。

 現在、多くのかき揚げ土塁が住宅建築に伴い消失しているが、

 当時は城内側の土塁に匹敵する高さで築かれた場所も多く、敵から内部が見えない構造になっていた。
 
 
 なかでも、 小峰御鐘ノ台大堀切 ( 冒頭の写真 ) は必見。

 箱根外輪山から本丸へと続く八幡山丘陵の尾根を3本の堀で分断し、この方面からの敵の攻撃を防御している。

 当時の姿が最もよく残っている東堀は、幅が約20~30m、堀底から土塁上部までは12m、

 堀の法面は50度の急勾配で、堀としては全国的に最大規模のものといえる。

 言うまでもなく堀底を歩いて写真におさまった。

 歳月を経た今、森の如く大木が繁る。

 天正18年は赤褐色の関東ローム層が剥き出しになり輝きを放っていたことであろう。

 誰の目にも鉄壁を誇っていたに違いない。


 秀吉の軍勢とて同じ。

 石垣山に城を築き15万もの軍勢で総構を取り囲みながらも手が出せずにいた。

 実際に二度の小競り合いがあったのみで、総構の中に侵入することはおろか、近づくこともできなかったという。
 
 この後、3カ月に及ぶ包囲が続く。 そして、八王子城皆殺しの下知へと繋がる。


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総構城下張出 平場

総構城下張出 掘

総構城下張出 平場 ( 上 ) と掘 ( 下 )
小田原城総構から張り出す形で平場が造られていた。総構から張り出させることにより
横矢掛かりの効果を生んでいる。城下張出の東側を巡る空堀が位置した場所。
現在でも雛壇状に東側へ下がって行く掘りの様子が確認できる。
( 小田原市教育委員会の説明板より )

総構稲荷森

総構稲荷森 ( そうがまえいなりもり )
この付近には、小田原城総構えを構成する空堀の様子よく残されている。
総構の掘が谷津丘陵の地形に沿って巡らされている様子がよく理解出来ますと教育委員会の
説明ですが、写真に撮ると良く分かりません。 是非現地で。

総構山ノ神堀切

総構山ノ神堀切
谷津丘陵を横断する堀切。この堀切により谷津丘陵は東西に分断され、それぞれ独立させる効果を
持っていたと考えられる ( 小田原市教育委員会 )。

小峰御鐘ノ台

小峰御鐘ノ台 ( こみねおかねのだい ) 大堀切
本丸へ続く八幡山丘陵の尾根を分断いて構築された。
東堀、中堀、西堀の三本の空堀で構成されている。
当時の様子が最も残っている東堀は幅約20~30m、深さは土塁の頂上から約12mあり、
法面は50度の急勾配。 ( 小田原時の回廊より抜粋 )

早川口遺構

早川口遺構
二重外帳 ( ふたえとばり ) と呼ばれる土塁と掘を二重に配した構造となっていることから、
この付近に虎口があったと考えられている。

馬出門

常磐木門銅門

馬出門 ( 上 )、 常磐木門 ( 左 )、 銅門。

総構から見えた天主

本丸から見た天主

総構から見えた天主と本丸から見た天主。

関東大震災で崩れた石垣1

関東大震災で崩れた石垣2

関東大震災で崩れた石垣が残っている。

小田原市のマンホール

小田原市のマンホール。

ガイドさんから頂いた総構の資料

ガイドさんから頂いた総構の資料。外側の茶色の実線の上を歩きました。
長時間ご案内頂きましてありがとうございます。

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トマトたぷりパスタ


お昼に沢山食べたので

晩ご飯は、あっさりスパゲッティ。


今の季節、畑で “ 収穫 ” したトマトたっぷり、 名付けて 「 そら豆とフレッシュトマトのスパゲッティ 」。


久しぶりに料理の写真を、

コンデジとミニ三脚を探していると、家内が

「 伸びて 、美味しくなくなるよ 」

さっさと一人で食べてました ( 笑 )。



2014ハイビスカス

今年も鉢植えのハイビスカスが咲きました。

明石城1


雨のなか、JR明石駅を降りると直ぐ北側に明石城跡。

外堀の端を歩いて

大手の枡形から入ると広い広場。

その正面に

坤櫓 ( ひつじさるやぐら ) と巽櫓 ( たつみやぐら ) が見える。


坤櫓の奥、

本丸の西南に天守台があるが、天守は建設されなかった。




今日午前の会議のため、一泊で大阪出張。

昨日夕、西明石で新幹線を途中下車、在来線で一駅・明石まで。

傘をさしながら、お城を観てきました。


家内と一緒ですと、

一日かけて色々と説明してくれますが、

私一人ですと、1時間ほどでお城見物が終わってしまいます ( 笑 )。



明石城・坤櫓

天守閣が造られなかった明石城では最大の規模をもつ坤櫓。

明石城・巽櫓

本丸の南東端に築かれた三層の巽櫓。

明石城大手の枡形

明石城登城道

石垣の綺麗な大手の枡形と坤櫓横からの登城道。

明石城天守台1

明石城天守台2

坤櫓の奥、本丸の西南にある天守台。 天主は築かれなかった。

( 2014年‎ 7月‎ 6‎日登城 )

網代温泉料理1


浜松から、週末も重なりましたので

各駅停車で熱海で乗り換えて、小田原までコトコト三時間。

東京まで来ていた家内と改札口で待ち合わせ。


小田原城の総構をガイドさんの案内で

ゆっくりと観て歩きました。


夜は、家内が予約してくれていた熱海 ・ 網代温泉で一泊。

網代温泉は初めてですが、鄙びた感じがとても良いですね。

美味しい料理を食べて

熱海の海を観ながら塩分の濃い温泉・露天風呂でのんびり。

極楽、極楽 。


お城好きの家内と何処かに出掛ける時は、お城優先ですから、

温泉でのんびりするのは、あまり無いですな ( 笑 )。


明日は、少し遅く起きて朝風呂に入って、美味しい朝ご飯の後、海岸を散策して・・・。

湯上がりのビールを飲みながら、

そんなことを考えていると家内が



「 おとうさん、 明日は少し早起きして山中城の畝堀を観に行くよ! 」

「 ・・・。 」



網代温泉1

網代温泉2

鄙びた感じがとても良い。 

網代温泉料理2網代温泉料理3

アワビの踊り焼き、サザエや新鮮なお魚のお刺身も美味しい。

網代温泉3

露天風呂から眺める沖合に舟が出てましたが、漁でしょうか。

網代駅1網代駅2

網代駅もなんとなく雰囲気が良い。 また、 来たい温泉場です。


先日の浜松出張。

同僚が行く前から、

「 鰻を食べたい 」 と言っていましたから

浜松駅に着くと直ぐ、駅南口 ・ 老舗の有名店へ。


うな重の特山を注文。

同僚には 「 一番良いのを食べさせてやるからな 」 と電車の中で話していましたが

結局、上から二番目のにしました。

それでも、一人前、消費税抜きで4,400円。

今年は結構、高いですな ( 笑 )。


50余年、継ぎ足し継ぎ足し受け継がれたという秘伝のたれで焼き上げた鰻・・・。

同僚が私の方をみながら

満面の笑みで、頬ばっていました。


浜松うなぎ1 浜松うなぎ2

今年の鰻は結構、高いですね。 最近、 しらすうなぎ が、採れていると聞きますから、
採れたしらすが大きくなる頃に、少し値段が下がれば良いのですが・・・。

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