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舌石1



午後、冷たい雨が降り出しましたが

淡路島の帰りに気になっていた徳島城に寄ってみました。


数年前に徳島城の舌石を取り上げました。

私の早とちりで

間違った舌石を紹介してしまい、関係者の方々にご迷惑をお掛け致しました。

当時の記事も非公開設定にしておりましたが、

やっと、また公開することが出来ました ( 笑 )。


前回、家内と見つけた卍紋の瓦は見つけることは出来ませんでした。

残念。


『 舌石 』 ~ お城巡り ( 36 ) ~ http://suigun489.blog.fc2.com/blog-entry-141.html

『 丸に卍紋 』 ~ お城巡り ( 35 ) ~ http://suigun489.blog.fc2.com/blog-entry-140.html



今年もありがとうございました。
来年も宜しくお願い致します。



舌石2

舌石3

水路 ( 旧寺島川 ) 沿いの石垣面から突き出ている石は屏風折塀の支柱石で舌石と呼ばれています。
屏風折塀は塀の一部をを屏風のように折り曲げて堀川の方向に突き出させたもので、
この屏風に鉄炮や矢を撃つための穴を設けることによって正面のみならず側面方向への攻撃が
可能となり、城の防御性を高めていました。
徳島城跡の旧寺島川沿いには約32メートル間隔で6個の舌石が残っており、
全国的にも類例の少ない貴重なものです。

~~ 立て看板より抜粋 ~~

徳島城の石垣

( 平成 28年 12月 4日 登城 )


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わたるな



本丸に渡りたいと内堀に囲まれ、

うっそうとした木々と竹藪でこんもりとした志知城跡を廻ってみるのだけれど

それらしい橋も道もない。

唯一、畑脇の細道の先に

コンクリート製のいかにも危なっかしい小さな橋がある。


近くに行くと、

この橋危ないので通行禁止の立て看板。


「 私、渡ってみる! 」 と、家内。

「 危ないからやめて! 」 と、私。


10分程の押し問答で、やっと断念してくれました ( 笑 )。


秀吉の四国攻めで黒田官兵衛が拠点とした城で、

その後、加藤嘉明が伊予に来るまで入っていた志知城。

今は田畑に囲まれてはいますが、内堀もしっかり現存しています。

また、外堀もそれらしいものが残っています。


家内もよほど、本丸に渡りたかったのでしょう。

車に戻るまで何度も、振り返っていました。

でも、橋が落ちて怪我でもされたら、私が困りますからね。



淡路志知城跡1

畑の向こうに見えるこんもりした森が本丸。

淡路志知城跡2

淡路志知城跡3

内堀もしっかりと残っている。 外堀の跡?とも思える所もある。

淡路志知城跡4

【 南あわじ市 市長様へ 】
歴史ある志知城です。
内堀もしっかり残っております。
出来れば、小規模なもので結構ですので本丸へ渡る数メートルの橋を架けてもらえれば、
お城好きにはありがたいです。
私たちと同じように、遠くから来ても目の前の本丸へ渡ることが出来ずに
がっかりして帰ったマニアも多いことと思います。
ご予算を少し取って頂きまして、宜しくお願い致します。
橋が出来ましたら、再訪致します。

( 平成 28年 12月 4日 登城 )

洲本城



「 おかあさん、危ないから! 」


道無き山の斜面を登る家内の後を追いかけながら、 私の方が滑って、膝をついてしまいました。

家内とのお城巡りは、 “ 命がけ ” ですな。


彦根城、我が松山城、

それにこの洲本城に現存する登り石垣を

見に行きたいと思っていましたが、やっと訪れることが出来ました。



駐車場から大手門へ。

二重の稜線がある石垣を右に折れて虎口に入り、

大石段を右手にみながら本丸を回り込むと搦め手門跡。

そこから西の丸へ続く道があるが、手前に下に延びる曲がりくねった小道がある。

10分程ゆっくり下ると、右の急峻な山腹に西登り石垣が見えてくる。



私は下から眺めて、写真を撮るだけで十分でしたが

家内は違ってましたね。

急な斜面を登って近くまで行って、登り石垣に触れることも出来ましたので、

満足だったでしょう。

でも、山城に行くといつも思うことですが

後ろから見ていて、ハラハラドキドキです ( 笑 )。



西登り石垣

西登り石垣1

西登り石垣2

西登り石垣3

東登り石垣

東登り石垣1

東登り石垣2

下の城から山上の城へ階段状に築かれている。
西と東に登り石垣が残っている。

洲本城大手門から

洲本城1

洲本城2

洲本城3

洲本城4

洲本城5

洲本城6

洲本城7

大手門から入り、登る途中、石垣の修復工事も見学できました。
山頂の天守台にある展望台として作られた摸擬天守は昭和3年に建てられた。
本丸、西の丸、南の丸、と広大な縄張りの洲本城を築いたのは
天正13年 ( 1585 ) から24年間にわたって在城した秀吉摩下の勇将・脇坂安治である。
城石垣の積み方は、穴太積という安土桃山時代の技法によっている。
( 洲本市発行のガイドマップから抜粋。 以下の写真説明も )

天守台南西の角石

天守台南西の角石1

天守台南西の角石2

天守台南西の角は算木積みの完成に近い。

本丸大石段

本丸大石段

広い石段は洲本城の威風を示す。 この石段を登ると南の虎口から本丸へ。

( 平成 28年 12月 3日 登城 )

鳴子門1



天守台に登って城内を眺めていると、

家内からメール。


「 全国の城で、

僅かしか残っていない薬医門の鳴子門はみましたか? 」



滞在時間も限られていましたから

早速、パンフレットの城内地図で探して鳴子門へ。

思っていたより、小さな門をスマホで撮影して家内へ送信。



「 他に観ておく場所は? 」


「 重文もたくさんありますが、

大手門から入りましたよね。その左右の石垣の積み方が違っていたような気がします 」



急ぎ大手門に向かうと、残念。

「 大手門、改修中。京都駅向かいます 」



二条城改修のため、城内の特設テントで一口城主の募金を受付ていました。

私もたくさんの募金は出来ませんが、気持ちだけ・・・。


記念品でピンバッチを頂きました。




鳴子門
鳴子門2

鳴子門3

本 丸
本丸1

本丸2

本丸3

本丸4

本丸5

本丸6

清流園・他
清流園・他1

清流園・他2

清流園・他3

清流園・他4

大手門
大手門

大手門2

大手門3

ウィキペディアによると、薬医門  ( やくいもん ) は鏡柱から控え柱までを
取り込む屋根を持つ。
本来は公家や武家屋敷の正門などに用いられたが、扉をなくして医家の門として
用いられたとある。 鳴子門は重要文化財。

ピンバッチ
ピンバッチ

二条城1



昔、中学の修学旅行が大阪、京都、奈良でした。



その時、同級生たちと一緒に板張りの廊下を歩くと、

「 キュッ! キュ、キュッ! キュ 」

鴬 ( うぐいす ) 張りという二条城の廊下です。



40数年前、美しい御殿というイメージより、その記憶の方が鮮明に残っています。



浜松出張 ( 昨年秋 ) の翌日

夕方の伊丹発を予約していましたので、京都で新幹線を途中下車。

市営烏丸線を烏丸御池で乗り換え、二条城前まで。


45,6年振り?。


こんなんだったかなっと、思いながら、

二条城前駅を上がり、外堀の周りをゆっくりと一周したあと東大手門から入城。

豪華でその優美さに圧倒される唐門をくぐって国宝・二の丸御殿へ。



この御殿へは、殆どの方が行かれていると思いますし、中は撮影禁止ですから

内部の説明は省略します ( 笑 )。




唐 門
二条城2

二条城2-1

二条城3

二条城4

二の丸御殿・庭園
二条城5

二条城6

二条城7

外 堀
二条城8

二条城9

二条城10

二条城は1603年 ( 慶長8年 ) 徳川幕府初代将軍家康が京都御所の守護と将軍上洛の際、
宿泊所として造営。
三代将軍家光が後水尾天皇の行幸にあわせて、1626年 ( 寛永3年 ) に改修した。
1867年 ( 慶応3年 ) 十五代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、
1884年 ( 明治17年 )、離宮となった。
京都市に下賜されたのは、1939年 ( 昭和14年 )。
1994年 ( 平成6年 )、ユネスコの世界遺産に登録された。
                 ( 元離宮二条城パンフレットより抜粋 )

※二条城は昨年秋に一人で訪れていましたが、アップしていませんでした m(_ _)m

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