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久松山頂 ( 標高263m ) の山上の丸
籠城戦1

430年前、渇え殺しとも呼ばれる 鳥取城籠城戦

地獄絵さながらの惨劇を繰り広げたという。

糧を絶つ秀吉の包囲網で100日余、

籠城の兵は虫を食い、土を食い最後には人肉まで食べたと伝えられている。


二の丸跡の奥、お稲荷さんの裏手から

熊に注意! 』 という看板を

尻目に、急な山道をふうふう登っていると

麓の鳥取西高でしょうか。

後ろから

「 こんにちは 」 と二人の女子生徒。

スカートをひらひらさせながら、とんとんと軽快に追い抜いて先へ。


3,40分ほど登ると

やっと、山上の丸。

ここには、本丸、二ノ丸、三ノ丸、櫓跡のかなり風化した石垣などが残っている。

本丸跡の市内を見下ろすベンチには

先程、私たちを追い抜いていった女子高生が、お弁当を広げて美味しそうに頬張っていました。


籠城戦2


鳥取砂丘も一望できる本丸跡の天守台から

秀吉が本陣を構えた 「 太閤ヶ平は向こうね! 」 と家内が指さす方を見るのだけれど

私には、

何処かもう一つわかりませんでしたが・・・。


それで良いのだろうけれど

お花見をする長閑な光景を見ていると、

四百数十年前に悲惨な籠城戦があったとは、到底考えられない。


二ノ丸奥から急な山道で山上の丸へ
籠城戦3

籠城戦4

籠城戦5

山の上丸の二ノ丸、三ノ丸
籠城戦6

籠城戦7

本 丸
籠城戦8

天守台
籠城戦9

籠城戦10

籠城戦11

鳥取砂丘と市内、太閤ヶ平?等が一望に見渡せる。

中仕切門
籠城戦12

鳥取県立博物館脇の二の丸登り口にある鳥取城に遺る唯一の建築物。
江戸時代の諸記録や絵図にはこの門が記載されていないため、
明治維新直前に建てられたと考えられている。
1975年 ( 昭和50年 ) 三月に強風のため倒壊したが、復元された。
                  ( ウィキメディアより )

吉川経家像
籠城戦13

黒塗りの 「 経家首桶 」 を先頭に数百の手勢を率い鳥取城に入城した吉川経家。
秀吉の包囲で籠城戦となったが、自らの切腹と引き替えに城兵の助命を願い出た。

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いい色掲載の『 お城巡り 』 は、この記事で最後です。
やっと、『 お城巡り 』 の引っ越しが、終わりました。。
尚、私の知識不足のため間違った舌石の写真を掲載していたため、
徳島城の『 舌石 』 お城巡り (36) は欠番としています。
次回、撮影した時に再掲載致します。

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お城巡り(47) |   2011年07月31日 いい色掲載


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鳥取城1


月山冨田城を後にして、鳥取のホテルへ。


美味しい夕飯を食べながら、家内に

「 今日は疲れたね 」

すると、私の顔を見て笑いながら

「 明日の鳥取城は、もっと高い山城よ! 」

「 ・・・。 」


翌朝、

ホテルのフロントでお城の駐車場を聞くと、

お堀に面して、観光客用の無料駐車場があるとのこと。

「 朝、早いので大丈夫ですよ 」 とフロントの綺麗な女性がにっこり。


でも、

「 満車ですね。

  それも観光客ではなく、地元ナンバーばかり・・・ 」

ガッカリして、辺りを廻っていると

立て看板を発見。

少し離れていますが、県庁の駐車場を開放しているとのこと。

ちょっと、むっとしましたが、良かった 。


鳥取城 は県庁や裁判所のある市北東の久松山頂 ( 標高263m ) の

山上の丸を中心とした山城部と、

山麓の天球丸、二の丸、三の丸、右膳の丸などの平山城部からなる梯郭式の城郭。

やっぱり、山頂までは遠かったぁ~。



鳥取城2

鳥取城3

二ノ丸
鳥取城4

中ノ御門を渡り、高校が建つ三ノ丸を右手に観ながら二ノ丸へ。

鳥取城5

鳥取城6

鳥取城を訪れたのは、四月の中旬頃。 桜も終わりかけ・・・。
桜吹雪 がとても綺麗でした。

鳥取城7

二ノ丸御三階櫓跡
鳥取城8

天球丸
鳥取城9

鳥取城10

鳥取城11

二ノ丸の右手にある天球丸。下の段は、改修中です。

駐車場
鳥取城12 鳥取城13

鳥取城14

朝早く行きましたが、お堀の廻りの駐車場は地元ナンバー車で満杯でした。

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お城巡り(46) |   2011年06月26日 いい色掲載



「 願わくは、我に七難八苦を与えたまえ 」


尼子氏が衰亡していく中、

御家再興のために三日月に祈った逸話は、講談等であまりにも有名。


尼子十勇士 ( あまごじゅうゆうし ) の一人

山陰の風雲児、山中鹿介 ( しかのすけ )、実名 ・ 幸盛 ( ゆきもり ) は

戦国時代で三指に入る、とても美男子だったのだそうだ。


敗れても、敗れても御家再興のため毛利氏と戦った勇猛果敢な鹿介、

私の好きな武将の一人です。


月山冨田城 ・ 千畳平に続く南側の太鼓壇に山中鹿介幸盛の銅像が建っています。

両手を合わし、祈っている姿です。

月山の頂上 ・ 本丸にも、鹿介の記念碑が建っています。


鹿介の首塚が、

遠く離れた福山市鞆の浦、静観寺の前にあります。

以前、ここを訪れた時

山陰から離れたこんな所に・・・。

どうして???、

と不思議に思ったものです。


毛利軍に囚われの身になった鹿介は護送中に殺害され、

備中松山城、鞆城で首実検された後、この首塚の近くに埋葬されたといいます。


尼子十勇士1

尼子十勇士2 尼子十勇士3

尼子十勇士4

飯梨川河原の公園内にある尼子経久の騎馬像。 後ろの山は月山。

尼子十勇士5

福山市鞆の浦、静観寺の前にある鹿介の首塚。 慰霊碑。

尼子十勇士 ( あまごじゅうゆうし ) : 戦国大名尼子氏の家臣のうち尼子勝久を擁立し
再興につとめたとされる、10人の優れた武士。
山中鹿介などが含まれ、講談や立川文庫などにより有名になった。
数々の軍記物に登場するようになったが、十人の氏名には各書ばらつきがある。
                                    ( ウィキペディアより抜粋 )

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お城巡り(45) |   2011年06月25日 いい色掲載


月山冨田城1


道の駅 「 広瀬 ・ 冨田城 ( とだじょう ) 」 で少し早めの昼食を取った後

千畳平、太鼓壇、奥書院、花ノ壇と

石垣や堀切、櫓跡をゆっくり観ながら1時間ほど・・・。


桜の花が咲き始めた広い 山中御殿平 に着きました。

「 やっと着いたねぇ~。

  ここらあたりに御殿や天守もあったのかな? 」


櫓跡や井戸を調べている家内に声を掛けると

汗に浮いている私の顔を見ながら


「 おとうさん、これから、あの山に登るのよ 」

「 ええッ! 」


家内が指を差したのは後方、標高197mの蒼い 月山 ( がっさん )。

この山中御殿平から、

七曲がりと呼ばれるかなり急な坂道を登ると

頂上付近に下から

三の丸、二の丸、本丸。


この城を本拠地とする尼子氏を

大内義隆や毛利元就が攻めたが、

なかなか落とすことが出来なかったと伝わっている。

月山冨田城 ( 島根県安木市 )

自然の地形を利用した難攻不落の要害です。


月山冨田城2

千畳平
月山冨田城3

花ノ壇
月山冨田城4

多くの花が植えられていたと伝えられていることから、花ノ壇といわれる。
発掘調査を元に主屋と侍所が復元されている。後方は月山。

花ノ壇の堀切
月山冨田城5

山中御殿平
月山冨田城6


七曲がり
月山冨田城7

三の丸
月山冨田城8

月山冨田城9

汗だくで七曲りを登ると、三の丸への虎口。 三の丸西側の石垣は数段に分けて
積み上がっている。

二の丸 ・ 本 丸
月山冨田城10

二の丸と本丸は堀切で仕切られている。 手前が本丸。

月山冨田城11

月山冨田城12

本丸奥に大国主命を祀る神社がある。 とても古そう。

月山冨田城13

二の丸から島根半島、 中海方向。

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お城巡り(44) |   2011年06月17日 いい色掲載

岡城2-1


岡城址二之丸を歩いていると

東の方から

ちょっぴり音痴な 「 荒城の月 」 のメロディーが聞こえます。


何処からかな?


覗いてみると、川を隔てた国道502号線からです。

各地に出来ているメロディーロード。

アスファルト舗装の表面に溝を刻み、

車が通過すると、その走行音がメロディーとなって聞こえます。


瀧廉太郎は少年時代に遊んだ荒れ果てた岡城を思いながら

荒城の月 」 を作曲したのでしょうね。

岡城址からの帰り、音符が壁に刻まれていました。



岡城2-2

少し調子の抜けた 「 荒城の月 」 のメロディーが聞こえてきた道路。

岡城2-3

岡城2-4

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お城巡り(43) |   2011年06月13日 いい色掲載

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